
どうも。からあげ先輩です
今回はギャンブルを辞めて200日も超えたので、ここらへんで私の過去のギャンブル体験談を詳細にまとめたいと思います。
動画でも作成しているので良ければこちらもご覧ください!!
また私の過去のギャンブル依存症をつづった記事はこちら!
私のギャンブル歴は約8年です。
パチンコ・パチスロから始まり、競艇、競輪とやってきたのですが、
18歳~:パチンコ・パチスロ
22歳~:競艇
26歳 :競輪
ギャンブルを始めるきっかけになったのはパチンコ・パチスロでした。

今日はパチンコ・パチスロに焦点を当てて過去を振り返りたいと思います。
18歳~:1パチが最初の一歩
僕のギャンブル人生の幕開けは、AKBの1パチで地元にあるパチンコ店でした。高校を卒業してすぐに友人に近くのパチンコ屋に連れていってもらったのがきっかけです。
始めのうちは音量の大きさや訳の分からない演出に困惑していたのですが、しばらくしていると激しい光とともに「48!!!!!」という音声が聞こえ、大当たりし、1000円が6000円になりました。
それまで高校生で勉強や部活で生きてきた私にとって、なにもせずに1000円が6000円になるのは強烈な体験でした。
そこから大学生になるのですが、一人暮らしも始まり、バイトを始める夏くらいまでは特に再びパチンコに行くことはありませんでした。

最初のうちは特に一人で行くこともありませんでした。
18歳夏:ジャグラーデビュー
大学に進み夏になると、生活リズムもつかめ、帰省した時に1パチに連れて行ってくれた友人
からジャグラーの打ち方を教わります。
5スロや10スロではなくいきなり20スロだったのですが、ジャグラーは特に天井がなく、投資金額も
そこまで激しい台ではないのでとっつきやすかったです。

18歳の若造がバイト代をもって20スロに万札を突っ込むのも今考えればなかなかですが、当時は頻繁に通ってました。
前日良さそうな台も前日からあたりをつけておき、積極的に朝一から打ちに行ってました。
19歳:20スロ本格デビュー
ジャグラーを打って1年が経った頃、いよいよATタイプのスロットにも手を出します。私がはまっていた時のピークはバジリスク絆が流行っており、私もこの台が大好きでした。
前作から人気があり、朝一並んでもなかなか打てないこともありました。それでも早起きして行列に並び抽選を受けて打ちに行ってました。今考えれば信じられない活力と行動力です。

この台は設定示唆や演出まで細かく覚えました。学業でやれよという話です。
他にも化物語やモンハン、GODなど色々と打ちました。写真が今も残っていて過去の記憶がよみがえりました。
21歳:4パチデビュー
確か21歳くらいのコトだったと思うのですが、スロットの人気台がどんどん終了していき、それに伴い面白代がなくスロットではなく4パチを打つようになりました。
パチンコはゾーンがないので、何回転からでも打ちやすく、見ているだけでよいので、この時期はパチンコばかり打っていました。
私はミドルやライトミドルが好きだったので、アニメ系のパチンコを多く打っていた記憶がありますが、この写真はGAROですね。たまに派手な台も打っていたようです。他にも海物語や北斗の拳を打ってました。
パチンコは天井がないので辞め時も難しく、5万円くらい突っ込んでいた時期も普通にありました。

サラリーマンならわかりますが、大学生がバイト代をもっていっていたので、本当にクズ野郎だったと思います。
まとめ
はい、今回は私のパチンコ・パチスロに関する体験談をみてきました。。

当時の画像とともに朝から並んでパチンコ・パチスロを打っていたことや学生ながらに万単位のお金を突っ込んでいたことを思い出しました。
今振り返るとお金の重みや学生の時間という大切なものを無駄遣いしていたと思います。こうやって冷静に振り返ると、後悔する気持ちが強いです。しっかりとこの後悔を胸に刻んで再び同じことを
繰り返さないようにしたいです。

では、今回はこんなところで失礼いたします。
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